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打つ

十五鎖目

はじめてお稽古された方や体験に来られた方は、たいてい「大鼓をたたく」と言う。

だが、大鼓などの能楽で使う打楽器は「打つ」のである。

「たたく」と言うと、何というか表面をパシャパシャとたたくような語感だが、

「打つ」は芯までパシッと打つ感じが伝わると思う。

これは、打撃するべき焦点が明確にあり、そこに意識を集中して、強くhitすることを意味しているのだ。

そして我々は、単に大鼓の音を出すことだけでなく、演奏すること自体を「打つ」と言う。

つまり「打つ」とは、打撃のみならず、カケ声や間にも意識を集中し、焦点を明確にして強く打つことなのだ。

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調べ緒

十四鎖目

調べ緒について書こう。

“調べ緒”は単に”調べ”ともいう。

大鼓は、表皮と裏皮をつなぐ”調べ”と、二重の輪にしてかけるだけの”化粧調べ”の二本をつかう。

麻製でオレンジ色をしており、近年はナイロン製のものもある。

麻とナイロン、それぞれに長短がある。

麻はしっかり締まるが切れることがあり、ナイロンは切れないけれども伸びるので緩みやすい。

井上靖の小説「氷壁」にナイロン製ザイルは切れず、麻製のザイルは切れるという話があるが、調べ緒にも同じことが言える。

調べ緒僕は、切れるリスクはあるが、しっかりと締まる麻製を好んで使っている。

ただ、麻も最初のうちは伸びるので、使う前に重石をかけてあらかじめ伸ばしておく。

うちでは物干し竿に調べ緒をひっかけ、ダンベルをのせて伸ばしている。

余談だが、この間近所の人に「あれは何ですか?」と尋ねられ、説明するのに難儀した。

 

 

 

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胴"茗荷"内胴"茗荷"十三鎖目

道具の中で最も高価なパーツが胴である。

サクラ材を刳り貫き、漆をかけて蒔絵が描かれてあり、とても美しく工芸品としての価値もある。

蒔絵の図案には、音にまつわる謎かけが仕込まれていることもある。

内部には様々なカンナ目が施してあり、そこから作者が推量されるという。

能楽の舞台で使用されているのは、江戸時代もしくはそれ以前に作られたものばかりだ。

百年前(明治時代)に作られたものは新胴と呼んでいる。

したがって能を見来たお客さんは、何百年も前に作られた楽器の音を聞くことになる。

胴の面白いところは、同じ皮にかけても、一本一本微妙に違う調子(音)が鳴り、それぞれに個性があるところだ。

胴が調子(音)に占める割合は、せいぜい10%程度だろうが、この部分は胴にしか出せないものであり、それが調子全体の個性を作り出す。

 

写真は「茗荷」の胴。

調子よく、音のなびきも長く、皮を選ばないオールマイティで、僕の第一のお気に入りである。

謎解き・・・茗荷は、根から直接花が咲くことから、根=音で「音に花が咲く」

 

 

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道具

十二鎖目

皆さんは”道具”と聞けばどのようなものを指すと思うだろうか。

“道具”を日本国語大辞典で調べると、

1番目に”仏道修行のための三衣一鉢など六物、十八物、百一物などといった必要品”

2番目に”物を作ったり仕事をはかどらせたりするために用いる種々の用具”とある。

ふつうは2番目の意をとるだろう。

我々は”道具”と言えば楽器のこと指す。

なぜ、そう呼ぶのかは、1番目の”仏道”を”芸道”に置き換えて考えるとわかりやすい。

“必要品”である。そんなこと当たり前だとも思うので、さらに読解すると、

道=芸道、具=武器 と読める。

つまり”道具”とは芸の道を生きていくための武器ということなのだ。

大切にするのはもとより、手入れを怠らず、尊敬の念を持って使うことが肝要である。

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続 故障

十一鎖目

膝の具合は、だいぶ良くなって来た。

医師の診断によると、右半月板の裏側がスライスされたように割れている。骨と靭帯は異常なしといわれた。

休みが取れない中、日に日に良くなってあるのであれば、手術はせずに様子を見ようということになった。

今のところテルミーという民間療法(温熱療法)が効いている。

少々の痛みがあるのが当たり前と思うことにする。

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故障

十鎖目

故障した。

自分自身がである。

昨日から右膝に激烈な痛みがあり、医者に行ったが原因はわからず。

とりあえず痛み止めをもらい、来週にMRIで精密検査をすることになった。

今日は稽古を休んだが、明日からは毎日申し合わせと本番がある。

ちゃんとできるのか不安だが、行くしかあるまい。