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喪失感

二十二鎖目

もうだいぶ日がたったのだが、1月13日、僕にとっての2つの巨星が墜ちた。

ひとつは、片山幽雪師、もう一つは叔父の好文氏である。

二人ともまだまだ元気にまた会えると思っていたので、突然の訃報に未だ心の整理がつかない。

ともに、昭和5年生まれで、同じ日に亡くなり、僕がとても世話になった人だ。

この2つの巨星に特に接点はなかったのだが、なにか縁を感じる。

 

僕に生まれて初めてワインを飲ませたのが叔父の好文だ。

一緒に山登りに行ったとき、水筒をだし「おちゃ(け)飲む?」と聞いてきたので、「はい飲みます」と言って、飲んだらワイン。

当時高校生であった僕がびっくりするのを、楽しそうに見ていた叔父のしてやったりの顔が忘れられない。

しっかり者であり、いたずら者、そして、おちゃめな好文は、塾の経営で成功し、僕の実家「成田」の大黒柱であった。

 

それとは対照的だったのが、幽雪師だ。

大変厳しく、よく叱られたが、いつも的確な意見を仰られ、常に真摯に能に向き合う姿勢に、ただただ感服していた。

京都能楽界全体の父親的な存在であった。

特に僕の師匠が亡くなってからは、そのご意見を頼りにしていた。

京都観世会館での稽古能や申し合わせ(リハーサル)の時は決まって大鼓の真正面にお座りになり、厳しい目を向けられた。

若い頃は、どうして大鼓の正面に座るのだと、その視線に恐れおののいたものだ。

今も、京都観世会館で打っているとその席から見られているような気がしてならない。

 

大きな存在を失った。

二人の冥福を祈りつつ、ワインを傾ける。

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コラボ

創生座稽古風景二十一鎖目

以前は能楽師が他のジャンルと共演することは、タブーとされていたが、

最近は規制緩和と言うか、自由化と言うか、他ジャンルの芸術との共演が許される時代になった。

僕は、縁あって、このいわゆるコラボレーションを行う団体の京都創生座に参加している。

創生座は、能、狂言、長唄、地唄をごちゃまぜにして、新しい古典を生み出そうという試みている。

先日、公演があり「まるで昔からある曲を演奏しているみたいなので、どこが新しいのかわからない。」との評価をいただいた。

いいのか悪いのか…

まあ良いことにしよう。

創生座の活動も10年近くなりお互いに違いや共通点などがわかってきたので、今では問題なく演奏できるのだが、当初は全く合わず大変苦労した。

驚いたのは、長唄の囃子である。

長唄囃子は能楽囃子をベースに作られているので、手付(楽譜)はほぼ同じだ。

だが、ディスカッションをしていると、お互い話が合わず、どうもおかしいと思っていたら、

なんと、基本となる拍の始まりが違うのだ。

長唄の1拍目は能楽の2拍目になる。

このことに気付くのにかなりの時間を要した。

大鼓主体なのか、小鼓主体なのかで、基準となる拍が違うようだ。

他にも、作法、音楽的価値観の違いなどを、どう折り合わせるかに苦心している。

ただ、コラボをすると必ず感じることは、理論、価値観、表現法など決定的に違うところがあっても、音楽であるということは共通しており、

感性さえ共有すれば、どんなジャンルとでも芸ができるということだ。

これからも能楽で培った感性、技術で新たな挑戦に取り組みたいと思う。

 

 

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あけましておめでとうございます。

DCIM0663二〇鎖目

あけましておめでとうございます。

本年も宜しくお願いします。

 

毎年、元日は朝10時半より京都観世会の謡初式と12時半から平安神宮で京都能楽会の奉納がある。

全員、紋付羽織袴の出で立ちで出勤する習わしだ。

謡初式は特に役付と言うものをせず、だれが何を打つか、適当に決まっていく。

時には、当日に決まることも。

謡初式終了後は速やかに平安神宮に移動し、初番以外の役のものは、本殿にて正式参拝をする。

(紋付羽織袴姿の人間がぞろぞろと列をなして歩くので、一般の初詣客にヤクザと勘違いされたりする。)

そして、神楽殿で奉納だ。

屋内だが吹きさらしなので寒いが、気が引き締まって良い。

奉納終了後、お神酒をいただき、全員で四海波を斉唱して解散する。

1年のルーティンである。