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違うが同じ

三二鎖目

近頃、徒然なるままに思いを巡らし、結論に至ったことを語ろうと思う。

僕は、常々西洋音楽と能楽は音楽理論が全く異なっており、その原因はどこにあるのだろうと思っていた。

ある時、さる病室に見舞いに行き、バイタルサインのモニターを見ていて、ふと気がついた。

鼓動はリズムが常に規則的であり、呼吸は常に不規則なリズムを刻む。

このことから、以下のような事を考えた。

世界中にあふれる音楽のほとんどが、リズムから始まり、それが発展して旋律を作るようになった。

そして、そのリズムは身体的活動から生まれてきており、それぞれの音楽の特性は、身体のどの部分からでてきたリズムなのかによって違いが出てくる。

思えば、身体が静穏(安静)な状態のとき、鼓動はリズムが規則的であり、呼吸は不規則なリズムを刻む。

そして、激しい運動などをすると、鼓動は規則的に早くなる。この時、呼吸も早くなり規則的なリズムに近づく。

つまり、鼓動は西洋音楽であり、呼吸は能楽囃子そのものだ。

西洋音楽は鼓動、能楽は呼吸をもとにできている。

だから、それぞれの理論は相容れない。これが、西洋音楽と能楽の違いなのだと。

しかし、僕はこうも思う。

理論は相容れなくても、感性は共有できる。

音楽(芸術)であることは同じなのだ。

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囃子Labo

三一鎖目

先日、僕が所属する団体である京都能楽囃子方同明会の主催で、hayassilabo1

同会若手五人による自主企画公演「第1回囃子Labo」が開催され、満席の盛会となった。

(僕は、押しかけスタッフとして場内整理に当たった。)

この催しは、読んで字の如く、能楽囃子の可能性を探る実験的催しである。

様々な一声(出囃子の一種)の聞き比べや、船弁慶を囃子のみで演ずる言わば「囃子語り」的な船弁慶組曲など、盛りだくさんの内容であった。

若手達は催しをすることの大変さと同時に喜びを感じたのではないだろうか。

いつもはおとなしくどこか物足りない印象の若手だが、意欲的に様々な試みにチャレンジする姿をみて嬉しく思った。

これからどのような活動を展開していくのだろう。

「囃子Labo」の今後が楽しみである。