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二十六鎖目

「手」について書こう。

手と言ってもhandではなく、囃子の「手」のことだ。

能楽囃子の打楽器はそれぞれのリズムパターンに名前を付けている。

これを「手」と言う。

石井流では300種類以上の手があり、これを様々な組み合わせで並べることによって一曲を構成する。(手組)

手組を謡本に書きつけたものを手附という。つまり楽譜である。

この手を覚えるのは、なかなか骨が折れる。

ただ手の順番を覚えるだけでは無く、謡の詞や節、他のパートの手などを同時に覚える必要がある。

そして、本番で手組を間違えないように演奏するのは大変難しいことである。

大鼓を演奏する上で、手組を間違えないようにするのは当然だが、

一方で手組にとらわれすぎて、曲調を見失ったり、間の整合性を欠かしてしまっては何にもならない。

何も考えなくても打てるくらいに稽古するのみだ。

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自信

二十五鎖目

能舞台と言うものは、実に厳しい場所だ。

家で稽古して出来ていたことの30%もできれば良い方だろう。

というのも、能舞台という結界の力や、他の演者が放つエネルギーと大音量に圧倒されて、

なかなか思い通りに打つことができないものだからだ。

これを克服するには、自らを信じて思い切って打つしかない。

前回の投稿で紹介した、三寿会が近づいてきた。

出演の会員には、自信を持って舞台に出てほしい。

やってきた稽古を。自らの感性を。そして自分自身を信じてほしい。

そうすれば、良い舞台となるに違いない。