自信

二十五鎖目

能舞台と言うものは、実に厳しい場所だ。

家で稽古して出来ていたことの30%もできれば良い方だろう。

というのも、能舞台という結界の力や、他の演者が放つエネルギーと大音量に圧倒されて、

なかなか思い通りに打つことができないものだからだ。

これを克服するには、自らを信じて思い切って打つしかない。

前回の投稿で紹介した、三寿会が近づいてきた。

出演の会員には、自信を持って舞台に出てほしい。

やってきた稽古を。自らの感性を。そして自分自身を信じてほしい。

そうすれば、良い舞台となるに違いない。

谷口正喜師三回忌追善 三寿会

二十四鎖目

来る、4月18日(土)午前11時より金剛能楽堂において

三寿会を催す。

先代であり、僕の師匠の谷口正喜師の追善会だ。

出演の会員みな稽古も順調に進み、会当日が待ち遠しい。

いわゆる素人会だが、番囃子「隅田川」や舞囃子「卒都婆小町」など見ごたえある曲がでる。

お茶席の用意もある。

ぜひ見にきていただきたい。

三寿会番組

 

そろそろ復活しなければ

二十三鎖目

2ヵ月もの休稿となってしまった。

ずっと、このままではブログが消えてしまうとの危機感はあったのだが、

この2か月の間、能楽師なのか団体職員なのかわからないほどの、

事務の仕事に忙殺されていた。

年度末に向け、所属団体の各助成金や公共機関からの請負事業の決算報告が重なったのだ。

おまけに自分の確定申告もあった。

(おかげで、ExcelとWordが普通に使えるようにはなった。)

なんとか、26年度分の仕事はできたので、言無記を再開したいと思う。

 

喪失感

二十二鎖目

もうだいぶ日がたったのだが、1月13日、僕にとっての2つの巨星が墜ちた。

ひとつは、片山幽雪師、もう一つは叔父の好文氏である。

二人ともまだまだ元気にまた会えると思っていたので、突然の訃報に未だ心の整理がつかない。

ともに、昭和5年生まれで、同じ日に亡くなり、僕がとても世話になった人だ。

この2つの巨星に特に接点はなかったのだが、なにか縁を感じる。

 

僕に生まれて初めてワインを飲ませたのが叔父の好文だ。

一緒に山登りに行ったとき、水筒をだし「おちゃ(け)飲む?」と聞いてきたので、「はい飲みます」と言って、飲んだらワイン。

当時高校生であった僕がびっくりするのを、楽しそうに見ていた叔父のしてやったりの顔が忘れられない。

しっかり者であり、いたずら者、そして、おちゃめな好文は、塾の経営で成功し、僕の実家「成田」の大黒柱であった。

 

それとは対照的だったのが、幽雪師だ。

大変厳しく、よく叱られたが、いつも的確な意見を仰られ、常に真摯に能に向き合う姿勢に、ただただ感服していた。

京都能楽界全体の父親的な存在であった。

特に僕の師匠が亡くなってからは、そのご意見を頼りにしていた。

京都観世会館での稽古能や申し合わせ(リハーサル)の時は決まって大鼓の真正面にお座りになり、厳しい目を向けられた。

若い頃は、どうして大鼓の正面に座るのだと、その視線に恐れおののいたものだ。

今も、京都観世会館で打っているとその席から見られているような気がしてならない。

 

大きな存在を失った。

二人の冥福を祈りつつ、ワインを傾ける。

コラボ

創生座稽古風景二十一鎖目

以前は能楽師が他のジャンルと共演することは、タブーとされていたが、

最近は規制緩和と言うか、自由化と言うか、他ジャンルの芸術との共演が許される時代になった。

僕は、縁あって、このいわゆるコラボレーションを行う団体の京都創生座に参加している。

創生座は、能、狂言、長唄、地唄をごちゃまぜにして、新しい古典を生み出そうという試みている。

先日、公演があり「まるで昔からある曲を演奏しているみたいなので、どこが新しいのかわからない。」との評価をいただいた。

いいのか悪いのか…

まあ良いことにしよう。

創生座の活動も10年近くなりお互いに違いや共通点などがわかってきたので、今では問題なく演奏できるのだが、当初は全く合わず大変苦労した。

驚いたのは、長唄の囃子である。

長唄囃子は能楽囃子をベースに作られているので、手付(楽譜)はほぼ同じだ。

だが、ディスカッションをしていると、お互い話が合わず、どうもおかしいと思っていたら、

なんと、基本となる拍の始まりが違うのだ。

長唄の1拍目は能楽の2拍目になる。

このことに気付くのにかなりの時間を要した。

大鼓主体なのか、小鼓主体なのかで、基準となる拍が違うようだ。

他にも、作法、音楽的価値観の違いなどを、どう折り合わせるかに苦心している。

ただ、コラボをすると必ず感じることは、理論、価値観、表現法など決定的に違うところがあっても、音楽であるということは共通しており、

感性さえ共有すれば、どんなジャンルとでも芸ができるということだ。

これからも能楽で培った感性、技術で新たな挑戦に取り組みたいと思う。

 

 

あけましておめでとうございます。

DCIM0663二〇鎖目

あけましておめでとうございます。

本年も宜しくお願いします。

 

毎年、元日は朝10時半より京都観世会の謡初式と12時半から平安神宮で京都能楽会の奉納がある。

全員、紋付羽織袴の出で立ちで出勤する習わしだ。

謡初式は特に役付と言うものをせず、だれが何を打つか、適当に決まっていく。

時には、当日に決まることも。

謡初式終了後は速やかに平安神宮に移動し、初番以外の役のものは、本殿にて正式参拝をする。

(紋付羽織袴姿の人間がぞろぞろと列をなして歩くので、一般の初詣客にヤクザと勘違いされたりする。)

そして、神楽殿で奉納だ。

屋内だが吹きさらしなので寒いが、気が引き締まって良い。

奉納終了後、お神酒をいただき、全員で四海波を斉唱して解散する。

1年のルーティンである。

化粧

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化粧について書こう。

化粧と言っても、女性が顔に描くあの化粧ではない。

大鼓の化粧調べである。

以前に調べ緒について書いたが、皮にかけるのを調べ緒。締めあがったところに、二重の輪にした調べをかけるのが、化粧調べだ。

字の如く飾りである。

飾りなので、使用前に伸ばす必要はない。

調べ緒よりだいぶ短く、仮に調べ緒を忘れたとしても、代わりにはならない。

(僕は一度この状態に陥り、とても難儀した。)

ただ、この化粧をかけていないと何ともみすぼらしく感じる。

音には全く関係ないが、必需品である。

 

 

 

学校廻り

十八鎖目

久しぶりの投稿である。

なぜ久しぶりになったかと言うと、単純に多忙であったためだ。

どのように多忙であったというと、我々の世界でいう学校廻りで平日はすべて埋まり、土日は舞台と言う毎日であった。

この学校廻りとは、読んで字の如く、各学校を廻って、体育館で能楽鑑賞をしてもらうことだ。

体育館に本格的な能舞台を組んで上演することもあり、ただ緋毛氈を敷いて、能楽囃子をコンサート形式ですることもある。

中には、ただ鑑賞するだけではなく、楽器体験などをいれたワークショップ形式ですることもある。

子供たちの心をとらえるためには、高いテンションと、親しみやすい言葉遣いが必要だ。

これらを考えながらレクチャーするのはとても疲れるのだが、とてもやりがいを感じる。DCIM0614

なぜなら、子供たちは、一様に興味津々でじっと聞き入り、熱心に見入り、

楽器体験をすると、余分な力がなく、程よく脱力して良い音を出し、

すぐにノリよく八拍子の間を覚える。

能楽の面白さを肌で感じてくれる。

やはり、日本人のDNAには、能楽のノリや間・息がしみ込んでいるのだなと思う。

能楽愛好家の人口減少が危惧される昨今だが、要は多くの人に能楽の面白さを伝える場がないだけではないのか?

そういえば、どの学校にも吹奏楽部はあっても能楽部はない。

よく考えれば、どの学校にも欧米文化のクラブがあるが、我が国の文化のクラブがないのは、変なのかもしれない。

いつか、当たり前に学校に能楽部のほか、和文化のクラブができる時代が来てくれたらと願う。

腹心

十七鎖目

前コラムで書いた「間」は、肚でとらなければいけない。

あなたの心は躰のどの部分にありますか?

と、たずねたらほとんどの人は胸を指す。

しかし、古来より日本人の心はおなかにあった。

決断することを「肚を決める」

怒ることを「腹を立てる」

隠し事をせず話をすることを「腹を割って話す」

というような言葉からもおなかに心があったことがわかる。

心が胸にあると、緊張しやすく、窮屈な構えになる。

心を肚に置くと、良い意味での緊張を保ちつつ、ゆったりと構えることができる。

腹心は基本である。

十六鎖目

「間」と書いてマと読む。

大鼓を打つうえでとても重要な要素だ。

間と言うのは単なる時間的なタイミングではない。

それは何か?

字が示す如く、門の中にお日さまが入るような、何かである。

たとえタイミングは合っていても、間が抜けていたら何もならないのだ。

その形は四角かったり、丸かったり、平たかったり、深かったりする。

こうでなければいけないというきまった形はなく、打つ者の心が間となって表れる。

だから、間は心を充実させてとる。

この「心」を躰のどこに置くべきなのかは次回に書くとする。