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違うが同じ

三二鎖目

近頃、徒然なるままに思いを巡らし、結論に至ったことを語ろうと思う。

僕は、常々西洋音楽と能楽は音楽理論が全く異なっており、その原因はどこにあるのだろうと思っていた。

ある時、さる病室に見舞いに行き、バイタルサインのモニターを見ていて、ふと気がついた。

鼓動はリズムが常に規則的であり、呼吸は常に不規則なリズムを刻む。

このことから、以下のような事を考えた。

世界中にあふれる音楽のほとんどが、リズムから始まり、それが発展して旋律を作るようになった。

そして、そのリズムは身体的活動から生まれてきており、それぞれの音楽の特性は、身体のどの部分からでてきたリズムなのかによって違いが出てくる。

思えば、身体が静穏(安静)な状態のとき、鼓動はリズムが規則的であり、呼吸は不規則なリズムを刻む。

そして、激しい運動などをすると、鼓動は規則的に早くなる。この時、呼吸も早くなり規則的なリズムに近づく。

つまり、鼓動は西洋音楽であり、呼吸は能楽囃子そのものだ。

西洋音楽は鼓動、能楽は呼吸をもとにできている。

だから、それぞれの理論は相容れない。これが、西洋音楽と能楽の違いなのだと。

しかし、僕はこうも思う。

理論は相容れなくても、感性は共有できる。

音楽(芸術)であることは同じなのだ。